必要とされたら
僕は、富江{とみえ}アンリミテッドという映画を観てあっけにとられ、戸惑いました。何が起こっているのか良く判りませんでしたから。
何を伝えたいのかを強く感じましたが。それで、「自分が必要とされたらきっと幸せになるだろう」と考えはじめました。
必要とされても、何のために必要とされているのかということが疑問として浮かび上がってきました。
もしかして必要とされている人は道具として使われているのではないかと。
自分が必要とされたら、それは一瞬の幸せではないのだろうかと。
僕は悲観的な考え方を持っているかもしれませんが、この疑問を考え、自分が必要とされている限りにおいては、それで満足しなければいけないのかなと思いました。
ある程度、恋人に必要とされたら、幸せだと思います。
人間ってなんと面白いのだろうと考えずには居られませんでした。
悲観的で申し訳ありません。
差し支えなければ、感想を聞かせて下さい。
人間は確かに必要されている時、幸せな感じがすると思います。
で、存在すること=真理ではないと思います。
作者さんのおかげで、私もちょっと考えました。
なぜでしょうか?
理由は、人間は、どうして自分はこの世の中で存在しているか、わかってないじゃないですか?
分かってないこそ、他の人に必要されている時、なんとか自分の存在感を感じたなら、幸せというより、やりがいを見つけたから安心したじゃない?人間は、団体物なので、心の中で弱いところあるからかなぁ。
で、必要されてない人もいっぱいいますね。偉大な科学者とか文学者とか、生きていた時認められない人、最後まで自分の成果を諦めないで信じていましたね。こういう人達、学術的に偉大だけじゃない、心もすごく強いね。
下手な日本語だから、すみませんね。
つまり、必要されているかどうか関係ない。
人間は何のためにに存在しているか。
人間の源はなんですか?
宇宙の源はなんですか?
宇宙って、かぎりでもあるの?
という問題になったね。
これは、今まで哲学者も解けない問題なので、こちらも無理です。
でもたまには考えても面白いわ。
自分の小さな考えですけど。
間違えたら気にしないでね。
無視すればいい。o(^▽^)oお休み。
なので、悲観的ではない。何かを気づいたじゃない?
「Sophie’s World」の作者さんいった通り、人間はこの世の中で生きていると、だんだん物事にすごく慣れています。なんでも当たり前のことだと思ってきます。
物事の表に限られず、その中のに考え始まる力はすごい。
すみませんね。やっぱり下手な日本語。。。。。